ガウディ建築の骨っぽさ

骨格と表皮の乖離は、とりわけ鉄骨を多用する現代建築の宿命なのかもしれない。鉄骨構造のおかげで造形の自由度を高めた表皮、すなわち、カーテン・ウォールが出現したわけだが、いわばこれが骨格から表皮が切り離された瞬間だった。しかし、カーテン・ウォールがポピュラーになる以前に、両者の区別はそう単純ではない。組石造においては、柱も壁も構造であり、構造壁は骨でも皮でもあったと言える。では、柱はどうだろうか。柱は古来より構造要素として存在したが、空間を包む皮とまではいかない。だが、その構造的な身振りを強調し、自由な表皮に匹敵するほどの強烈な表現力を身につけることはあった。
こうしたなかで、わかりやすい実例はガウディのカサ・バトリョだろう。この都市住宅は、19世紀末に碁盤の目状に整備されたバルセロナ市街に位置する。強烈な個性のファサードは、街区が均質にできあがったからこそ必要とされたかのようだ。面白い偶然だが、ゲーリーが魚を連想させたがごとく、カサ・バトリョにも水のニュアンスが投影されている。竜もしくは魚の鱗のごときファサード上部、あるいは、珊瑚を連想させる色鮮やかなモザイク・タイル、深海の雰囲気を持つ中庭、貝の渦巻きや波のうねりを表現した室内の意匠など。もっとも、ガウディが持ち込んでいる水は、ゲーリーのように無国籍な水ではなく、あきらかに眼前の地中海である。
そして、こうしたトロピカルで活力にみなぎる地中海性に、グロテスクで“骨っぽい”柱が付加されているのは、一種のギャップである。二、三階の出窓部分に付けられた石造の柱は、上下、そして、中間部分に施された間接のような形態のせいで、どうしても骨を連想させる。かなり注意して見ると、柱の中間部分に植物の蔓や葉が彫られていることに気がつくのだが、これも遠目には間接の膨らみとくびれに見えてしまうのだからどうしようもない。そうすると、上階のバルコニーまで両目のついた頭蓋骨に見えてくる。たしかに、これを地中海的ファンタジーに近づけるために有機的な貝殻の造形と見ることもできるが、カサ・バトリョを訪れた人の目は十中八九、まずは“骨っぽい”柱に支配されるだろう。その後にバルコニーを見て、頭蓋骨を連想しない人がいるだろうか(…)
[『積算資料』2010年4月号草稿の一部を抜粋]