統合的建築家

20世紀建築の展開は、ある意味で芸術と工学の調停を巡る闘争の歴史として理解できる。実質的なレベルでは、既成の建築家が迫り来る大都市問題にどれだけ応じられるかという課題、それに向けた取り組みの数々に置き換えることができる。およそ100年前に建築家グスターヴォ・ジョヴァンノーニは、都市の現実に応じることのできる理想的な建築家養成機関の構想に際し、芸術かつ技術の職として体現される「統合的建築家」を提示したが、「統合」という言葉に象徴されるように、進みゆく学問の細分化と専門性の深化を前にして、それでも建築職には俯瞰的視野が必要であると訴えた。
 この統合性は、口で言うほど容易く達成されるものではない。事実、どれほどの建築家が理想都市を構想し、あるいは問題解決のための理論を案じては、現実的困難の前に挫折してきたことか。たしかに都市問題は一筋縄ではいかない。結果、ときには建築家による敗北宣言も出された。幸い(と言うべきか)、こうした敗北宣言はそれ自体が建築家個人によるひとつのパフォーマンスとして意味を帯びることがあっても、われわれに突きつけられた問題はなにひとつ終わらない。建築、都市、社会の問題は、なお、そこにあり続けている。
すなわち、「統合的建築家」は、いまだに、求めども達することなき悲願として、われわれの前途にあり続けている。建築の長い伝統を背負う成熟した文化圏であればあるほど、「統合」に向けての建築家の闘いは実に鮮烈なものであった。少なくとも私自身が、建築に惹かれた理由のひとつは、建築物のデザインや形態そのものより、建築家が取り組まねばならなかった困難の大きさ、そして、それでもなお果敢に挑戦し続けた真摯な姿勢を思えばこそ、であった。そうした建築家たちにとって、建築が芸術なのか、工学なのか、といった議論自体にもはや意味はないだろう。彼らは、ただひたすら社会が求める建築家という職能のあり方を問い続け、人間の生存に関するあらゆる知に対してアンテナを張り、しかも、あらゆる現実的困難を承知のうえで、社会、都市、建築のあり方に対して臆することなく雄弁であろうとしたのだ。世の東西を問わず、私は、そうした取り組みを続けていける人材の輩出元が、これから先もずっと建築学科であってほしいと思う…[『東京電機大学未来科学部建築学科五十年史』草稿の一部を抜粋]